トトの日常絵本

本気で日記始めました。がんばれるかな~

冬場を中心に顔の感想が激しい

わたしはむかしから肌が弱く、特に冬場は乾燥肌に悩まされます。背中や腕は赤みが差すほどのかゆみで皮膚科に通って塗布薬を処方してもらわねばなりません。顔についてはこうした赤身まではいきませんが皮膚が薄いまぶたの肌荒れで何もしないとみっともなくて外には出られないほどです。私自身が心がけ家ているのは保湿剤や乳液です。まずお風呂上りにはかならず、肌水をぬって、そのあとに乳液を塗り込んで寝ることにしています。朝起きた後の洗顔もお湯だと荒れてしまうのでお水を使っています。そこに乳液をさらに塗り込んでいます。そして、普通の方と違うのは耳のあれです。耳の外耳部分が粉をふいたような状態になり、見た目にもかなり目立つような状態になってしまいます。ですから私の場合は耳にも乳液を塗り込んで対策をしています。これをしないと耳垢なのかあれ肌なのかわからないほど荒れてしまいます。そして、私の場合、顔でもTゾーン以外はどちらかというと脂が強く、荒れる部分と脂っこい部分がはっきり分かれていますので、乳液を塗り込むところも自分で鏡を見ながらわけています。脂っこいところに塗ってしまうとてかりが目立ったり、大人ニキビのもとになったりするわけです。とにかく私の場合は人と違って耳の外耳部分の荒れ、乾燥肌とてかる部分の差をいかにフォローするのかがポイントになります。夏場を過ぎると徐々にこうした対策をしていかないとすぐに顔の荒れがひどいことになってしまいます。

逆に損じゃないかなあ

私自身、ニュースの主な情報源がテレビや新聞ではなくネットになって久しいです。
ですがネットニュースのソースというのは、実は相変わらずテレビ新聞と言ったマスコミ媒体のままである事に違いはありません。
しかしそれでも、テレビ新聞のままニュースを目にする場合とは大きく異なっている点があります。

マスコミ=マスコミュニケーションというメディアの形態は、
単一の情報の送り手が不特定多数の無数の情報の受け手に対し一方的に物を伝えるというものです。
そのため何か商品やアイドルなどを売り出したいときに、送り手たるマスコミ側が猛烈なプッシュをするなどの
手法が非常に有効で、良く使われていました。

しかしネットでのニュースには、それまでと明らかに違う点があります。
ユーザーのコメントです。
不特定多数の記事の読者が恐ろしいほど手軽にコメントを投稿でき、それが即座にコメント欄に反映されるのです。
そしてネットユーザー達はその記事が何らか世論の誘導などを行おうとしているニオイを嗅ぎ付けると、
川に落ちた獲物に群がるピラニアもかくやという、それはもう凄まじい勢いで批判コメントがズラリと並ぶのです。
「なんだまた○○か」「安定の○○いい加減にしろ」と。

ネットの初期に新しい発信方法として喜び勇んで各マスコミはネットでの記事配信を始めたわけですが、
まさかそれが自分たちの首を絞める結果になっているとは夢にも思わなかったでしょう。
今更ネット配信をやめるわけにも行きませんしね。

子どもにプレゼント、絵本の選び方

よそのお子さんや、自分の子どもに何かプレゼントをしたいなあと思うことありますよね。
パパさんやママさんにお世話になったり、お宅に遊びに伺う時や、クリスマスやお誕生日のプレゼントなど…。
よそのお子さんにあげるにも、おもちゃをあげると同じものを持っている可能性もありますし、かさばらないで子どもの教育にもいいものとなると、やはり絵本が最適ではないでしょうか。
子ども同士のお家だと、意外とプレゼントを絵本でやりとりすることもあるものです。
お子さんの趣味もあるので、雑貨だと悩ましいですよね。
絵本ならいいものであれば、親御さんも喜んでくれますし、二代に渡って愛されていたりします。
うちも、友達の出産祝いに差し上げたり、いただいたりすることもあります。

さてどんな絵本がいいか悩みませんか。
子どもの教育に関する雑誌やパンフレットなどに絵本が紹介されていることもあります。
基本的に私が選ぶのは、ロングセラーのものが一番安心な気がします。
大人の心にもぐっとくるものも多いですし、内容も子どもにも大人にも愛されてきたのがよくわかります。
大きな本屋に行くと、ロングセラーの絵本はいわゆる展示されていて、わかりやすく選びやすくなっているんです。

どうしても、自分の子どもに買ってしまうものといえば、自分が読んできたものを選んでしまうのですが…。
愛着があるものを、自分の子どもにも読んでほしいと思ってしまうんですね。
ノンタンやぐりぐらシリーズなど、世代を超えて愛されているものは、やはり読ませたくなるものです。
子どもも将来、自分の子どもに買ってやるのかな…なんて思っちゃいます。

田舎暮らしや農作業を見て思い出すこと

テレビで田舎暮らし特集をしていました。山形県は芋煮を作りますよね。通常は醤油味が有名だけど、味噌で作ることもあると味噌バージョンを見て、すごく美味しそうだなと思いました。こんにゃくを入れる時に手でちぎると良いとよく言いますが、芋煮を作っていたおばあちゃんは、こんにゃくを箸でさして穴を開けると味が染み込みやすいと言っていました。こいうことって普段は忘れがちなんですよね。。こういう細かいところのコツが、やっぱりレシピだけじゃわからない部分で、実際に教えてもらえる環境ってありがたいなと思いました。農作業のお手伝い体験もしていましたが、黙々とやる作業が楽しいと言っていて、その感覚すごくわかると思いました。私も手伝いで自然の中で単純作業を手伝ったことがあったのですが、これが予想以上に楽しかったんですよ。体を動かしているからか、自然に触れているからか、不思議でした。そういえば知人からも、肉体労働だったり単純に体を動かす仕事をしたことがあって、大変だったのに気持ちはすごく楽しくて充実感を感じたと聞いたことがありました。こういう体験って始めてで自分では楽しいと感じるなんて全く予想していないんですよね。だからこそ、意外な感覚にビックリしたりします。知人とは仕事内容ってやってみなければ、どう感じるかはわからないねとか、大変だけど幸福感高いことってあるんだなとか、そんな会話をしました。田舎の農作業の風景を見ると、そんな体験を思い出します。

老人に環境をかえさせるということ

最近、親戚のおばあちゃんが寝たきりになってしまいました。現在99歳で、100歳を目前にしているおばあちゃんです。息子たちが4人いて、誰からも「そろそろうちで一緒に暮らそうよ」と言われていたのですが、断固拒否していて、98歳までひとり暮らしをしていました。当時は息子たちのうち3人が近所に住んでいて、3人で交代に毎日おばあちゃんのところへ通うようにしていて、買い物をしたり、家事を手伝ったり、薬をチェックしたりしていましたが、基本的に、家の中のことはおばあちゃんがひとりでこなす気満々でした。私も何度かおばあちゃんの家へ遊びに行きましたが、お客さんにおもてなしをせねば、と気を使ってくれているのが良く分かりましたし、たまに、ちょうど掃除をしている場面に出会ったりもしました。ひとりでできることは何でもやってしまう元気なおばあちゃんだな、いつまでもこのまま元気でいてくれるといいな、とよく思ったものです。そんなある日、一階のおばあちゃんの家の上の階に住んでいたひとり暮らしの老人が、どうしてそうなったのかは不明ですが、台所に貯めていた水を流しっぱなしで寝てしまったそうで、朝起きたら下の階のおばあちゃんの家が水浸しになっていたそうです。二人とも老人だったから、水の音にもまったく気付かなかったそうです。真冬でしたし、掃除をしてもそのまま住み続けることができないような量の水で、おばあちゃんはとりあえず娘の家でしばらく暮らすことにしました。おばあちゃんは最初、家があんなことになってしまったから仕方なく娘のところへ厄介になっているけど、早く自分の家に帰りたい、と言っていました。でも、息子たちは、「もう観念してこのままそこに住もうよ」と説得します。おばあちゃんは受け入れませんが、息子たちは「家の修復工事が長引いているから帰りたくても帰れないよ」とおばあちゃんを娘の家に留めます。あれから1年半、一緒に暮らしている娘がつきっきりでおばあちゃんの世話をすべてしています。自分の役割をなくしたおばあちゃんは、徐々に生きる気力もなくしてしまったようで、先日風邪を引いて寝込んで以来、もう風邪は治っているのに起き上がりたがらなくなってしまいました。自ら寝たきりになる状態を選んだようです。老人に生活環境を変えさせるものではない、というのは本当ですね。息子たちがおばあちゃんのために、と思って心配してやったことが裏目に出てしまうとは…。来週おばあちゃんの100歳の誕生日なので、お祝いもかねてお見舞いに行こうと思っているのですが、弱り切った姿のおばあちゃんを見るのは辛いです。なんとか持ち直してほしいので、頑張って元気づけてきます。

広いサバンナを通らないと行けない子供達

アフリカっていう場所は、実に自然溢れる場所だなと感じます。少し行けばライオンやキリンが歩く場所があったり、森にはもの凄く大きなアナコンダなどが生息していたりします。大きなワニだって居るし、象も居ます。そう思うと、動物との共存を考えて生活しなければなりません。

ある番組で、そんなサバンナの外れにある村から、片道3時間もかけて学校に登校している女の子のことをやっていました。サバンナを横断しないと、学校に行くことができないのが驚きます。

毎日がサバイバルです。学校に行くまでに疲れてしまいそうです。それでも学校に行きたいと願う子供達は、ライオンの横を静かに歩いては通り過ぎます。

まるで、アニメの世界のような光景を目にし、自分だったら精神的に無理だろうなと思いました。ちょっと行けば目の前を物凄い速さで走るダチョウにもぶち当たります。

また歩けば喧嘩をしながら歩いているハイエナにぶち当たるのです。これでもかというほどに色々な動物と会いながらも黙々と歩いている子供の姿にちょっと笑ってしまいました。

やっと学校に着いたと思ったら、下校時間の1時間前でした。結局、ろくに勉強もせずに帰宅します。帰宅するには、またあのサバンナを歩かなければならいのです。もうちょっと自宅でラジオか何かで勉強できるようにならないかなと思いました。

アフリカの子供はトウモロコシが主食だったりします。水で練ったようなものです。本当に過酷な土地だなと改めて感じました。

うちの家の犬と近所の家の犬とのラブラブ事件

うちの家の柴犬と、近所の家のとても小さな犬がラブラブになってしまいました。
ラブラブになったのは、4ヶ月前の事ですが、放し飼いになっている小さなメス犬がいて、だいたい大きさが、30~40センチくらいの小さな犬です。
それで、最初は自分よりも5倍くらい大きなうちの犬を怖がっていたのですが、うちの犬はおとなしいオスの犬なもので
そうこうしているうちに仲良くなってしまいました。
それで、何日に一回くらい遊びにきてじゃれていたのはいいのですが、1月の下旬くらいでしょうか?
2匹がくっついたまま離れなくて大変なことになってしまいました。
それ以来、その家にお願いして首輪をしてつないでもらうことにして、うちに訪問することはなくなったのですが
最近になって、その犬が子どもを産んだのです。
そのメス犬はもう老人で本当だったら絶対に子どもを産めないような年だったのですが、1匹だけ産んでしまいました。
そして、その子犬が何と、とても大きくて難産だったという話を聞きました。
電話で話しを聞いたものの、なんとなく気になって、私と子ども達は遊びにいってその産んだ子犬を見てきたのですが、
色はどうもうちの犬に似ています。
その犬は、小さくて雑種なのですが茶色と白のまじった犬で、うちは柴犬といえ白い犬なのですが、その子犬も真っ白でした。
5倍もの大きなうちの犬との子どもなんて、今でも信じられないので、うろうろとしながら他の家の犬とラブラブになったのではないかと
その家の人とも話しをしましたが、大きな子犬を見るとやはりうちかなっと思ったりもします。
これから大きくなって、親犬よりもはるかに大きな子犬になったらどれほど怖いだろうかと、子ども達と話をしたしだいです。